今まで私は楽しいグアムについてばかり紹介してきましたが、今回、戦争跡地を訪問したことで、少し自分のグアムに対する思いが変わりました。
日本人にとって気軽に行ける楽しいリゾート地グアムは、太平洋戦争の激戦地ですが、そのことを意識している日本人観光客は少ないでしょう。私もそのうちの1人でした。
しかしながら今回、ブラックフライデーを楽しむつもりだったのに駐車場がいっぱいで入れず、その後旦那が道を間違えて北部へ進んだ結果、太平洋戦争の慰霊碑に行くことになったのです。
自分と同じ日本人、そして尊い命が亡くなった場所に立ったからなのでしょうか、帰国後も戦争のことが頭から離れません。
グアムの戦争・・・戦跡で思ったこと
太平洋戦争の始まりはハワイの真珠湾攻撃から始まった・・・これは中学校や高校で習うことで誰もが知っているはずです。
当時は食うか食われるか・多くの植民地を持って強くなるか、植民地にされてしまうか、どちらかの時代でした。アジアは日本とタイ以外はどこかしらの国の植民地だったし、グアムはアメリカの植民地だったのです。
日本は太平洋戦争で真珠湾攻撃をしてから、どんどん太平洋の島国を侵略していきました。
当時日本はアメリカからグアムをも奪いましたが、最終的に取り戻しに来たアメリカ軍と日本軍が激戦を繰り広げ、多くの方が亡くなっています。
実は、わたしの先祖である祖父の兄は、太平洋のグアムのすぐ近くの小さな島で戦死しています。家には靖国神社の写真とともにまだ若い青年の遺影や両親や兄弟への手紙も残されています。
その手紙に書かれた文字は美しく丁寧で、家族を想い、この身をお国のために捧げますと書かれていました。小学生の時に初めてこの手紙を見て胸が熱くなり涙が出たことは今でも忘れません。
私は今回のグアム旅行で、南太平洋戦没者慰霊公苑という場所へ行き、自分の先祖はもちろんのこと太平洋戦争で亡くなった方々の霊碑に手を合わせることができて本当に良かったです。
今の日本があることへの感謝と、私たちは平和に生活できていて、子どもたちも元気に育っていることの報告ができました。
彼らが戦った命の上に、私たちの平和があることは忘れてはいけないのです。
グアム旅行は楽しいスケージュールでいっぱいかもしれません。
でももし少しでも時間があれば、太平洋戦争跡地を巡って、英霊に手を合わせてみませんか。
アメリカ軍上陸の地【アサン・アガット】
アメリカ軍が日本軍に奪われたグアムを取り返すために上陸した場所は、現在太平洋戦争国立歴史公園として整備されており、観光客が立ち寄ることができます。
公式サイトには”アメリカ軍の勇敢さと犠牲に経緯を表した”との英語表記があるため、日本軍に対するものではありませんが、訪れる価値のある場所です。
アサン
1つ目のアメリカ軍上陸の地である”アサン”は、繁華街のタモン地区から車で20分程度で到着する半島になった場所です。
以下写真は、ルート6沿いにあるアサン展望台から撮影したものです。少し半島になっている場所がアメリカ軍が上陸した場所です。
展望台には、米軍が上陸する様子が刻まれています。
現在でもアサン展望台ではアメリカ軍の式典などで利用されているようで、以前私が伺った際にも軍の方が正装で集まっていました。
また上陸地であるアサンの半島太平洋戦争国立歴史公園として整備されており、魚雷なども展示されています。
また、海岸周辺には日本軍が上陸に備えて作った洞窟なども多く残っている場所です。
日本軍はどのような思いでアメリカ軍の上陸を見ていたのでしょうか。現代に生きる私たちには想像もできません。
MAP | アサン展望台 War in the Pacific National Historical Park |
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詳細 | ルート6からアサン展望台へ |
アガット
続いて、もう1つのアメリカ軍上陸の地であるアガットもアサン地区同様に国立公園として整備されています。
美しい芝生と後方に見える山々、青々とした海を見ていると、そこが戦争の激戦地だったなんて考えられません。
しかしながら、いまでも残る大砲や
日本軍がアメリカ軍の上陸に備えて作ったトーチカなどが残されており、ここが激戦の地だったのだと、思い知らされるのです。
大砲の側にはアメリカ・グアム・日本の国旗が掲げられていて、今の平和を守っていかなければならないと訪れた人に伝えています。また、過去の苦しみを乗り越えて各国が親交を続けていることは素晴らしいことであり、人間は憎しみ続けてはいけないのだと教えているように感じます。
この地で同じ日本人が戦っていたことを知ること、それが私たち現代に生きる人間の役割なのではないかと思いました。
MAP | ガアンポイント |
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ツアー | 【現地ツアー予約】太平洋戦争跡公園+南太平洋戦没慰霊記念公園 グアム島一周観光<日本語ガイド> |
ラッテストーン公園にある防空壕
観光名所であるラッテストーン公園には、旧日本軍が使用した防空壕が残されています。
太平洋戦争中には日本軍の爆薬庫として使用されていたそうです。入り口には『防空壕』の文字が刻まれていて、日本軍がグアムを占拠した時代があったんだなと知ることができます。
ラッテストーン公園でも奥の目立たない場所にあるのでガイドさんと一緒ではない方は見逃さないように気をつけてください。
MAP | ラッテストーン公園 |
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ツアー | 【現地ツアー予約】グアム島一周観光<日本語ガイド> |
南太平洋戦没者慰霊公園
アメリカ軍はグアム上陸後、日本軍の抵抗にも関わらず僅か20日間でグアム島を制覇していますが、多くの日本兵は密林の中に逃げて行ったり、自決したりしたそうです。
そして、日本軍の司令官(小畑中将軍司令官)も自決しており、その場所には『南太平洋戦没者慰霊公園』が建てられています。
この慰霊公園は、大勢の日本人戦没者を祀っている場所としても有名で、公園内には、両手を合わせた人の字の形の慰霊塔が建てられ、その地下が納骨堂になっているとのこと。
この公園だけグアムではない、グアムの中にある日本のような雰囲気があります。
諸宗教合同の平和の祈りの家(我無山平和寺)には、諸霊位の供養と世界平和の祈願が行われ、お線香やお供え、また日本の修学旅行生が作った千羽鶴や色紙などが飾られていました。
また以下の文章が壁にはかけられていました。
「身にあびる 歓呼の中に母ひとり はたをもふらず 涙ぬぐい居り」
「英霊が栄光を賭けて得た 尊い平和に感謝を捧げましょう」
「戦争は悲惨です 二度と起こさないことを祈願しましょう」
日本のために戦った英霊に手を合わせお線香をあげられる場所はここだけです。
MAP | 南太平洋戦没者慰霊公苑 |
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ツアー | 【現地ツアー予約】<南太平洋戦没者慰霊公園を含む>グアム島一周観光 |
以上、グアムの中でも観光客が行きやすく整備された戦争にまつわる観光名所をまとめました。
もし訪れることができたら、戦争で亡くなった英霊に思いを馳せる良い機会になると思います。